*13* 


  リンドン。
 マエズロスがエルロンドを預けに来てしばらく経つ。
 エルロンドはまだ少年と青年の間で、その気丈な態度は胸を打つものがある。
 シリオンでのこともあるし、(大好きな)マエズロス(叔父)から預かった事もあり、
ギル=ガラドはエルロンドを大切に扱った。
 とはいえ、子供扱いも、ただ擁護されるだけも本人は嫌なようなので、
ギル=ガラドはとりあえず自分の副官として、常に側に置く。
 まあ数年も側においておけば、役に立つようにもなるだろう。
今はギル=ガラドの仕事ぶりの見学と、蔵書を読んで勉強、ということだ。
 執務室で、ギル=ガラドは黙々と書類整理をする。
各方面からの書状とか、報告とか、上級王ってのは雑務が多い。
(父上はこんなことしなかった気がするなぁ)
 父フィンゴンが大人しく座って何時間も書類とにらめっこしているところなど、見たことがない気がする。
もっとも、当時のミドルアースには力のある上級エルフがたくさんいたので、
それほど一人で何でもする必要はなかったのかもしれない。
 面倒な時代に王になったものだ。
 ため息混じりに、何気なく視線を部屋の隅に向ける。
 と、隅っこで大人しくじっと本を読んでいたエルロンドが、呼ばれた犬みたいに耳と尻尾をぴょこんと立ち上げた。
「休憩ですか? 何か飲み物をお持ちいたしましょうか? 必要なものがおありですか?」
 ぶんぶん振られる尻尾が見える。
(かわいいな、おい)
「いや、いらない」
 そっけなく答えると、きゅん、と尻尾と耳が垂れる。
「……じゃ、お茶でももらおうか」
「はい!」
 ぴょこんと立ち上がったエルロンドは、飛び跳ねるように出て行った。
 シリオンでは、あんな感じではなかったと思うが…マエズロス(叔父)はどんな育て方をしたのだ?

 しばらくしてお茶を運んできたエルロンドは、背筋を伸ばして、ニコニコ。
 褒めて褒めて、かまって、撫でて、オーラ。
「ありがとう」
 一言言ってお茶を受け取り、ギル=ガラドはまた書類に向かった。
満足したのか、エルロンドは嬉しそうにまた部屋の隅に座って本を広げた。

 貴方の役に立ちたいんですオーラ全開のエルロンド。
 とりあえず、書庫の本を全部読めと言い渡すと、すごい勢いと集中力でほとんどを読んでしまう。
そして、ちゃんと内容を覚えているのだから、優秀極まりない。
 さらには、ギル=ガラドの身の回りの世話までしてくれる。
湯浴みの用意をしたり、着替えを揃えたり、食事の準備をしたり。
「他に何かお手伝いする事はありませんか」
 真面目に問うエルロンドに、ギル=ガラドはうむうと腕を組む。
「そうだな。では夜伽の相手でもしてもらおうか」
 もちろん冗談だ。
「夜伽、とはなんですか? 私の知らない剣術、体術…勉学の分野…?」
 目を見開いて真剣に問うてくる。
(かわいいな、おい)
「知らぬのか」
「是非教えてください。それはなんでしょうか」
 今更冗談とも言えないし。
「ん、まあ、体術の一種…ではあるかな」
 エルロンドの瞳がきらきらと輝く。
 いや、そんな期待されても。
「では今宵、私の寝室に来なさい」
「はい!」



 そうは言ったものの、どうしようと思うギル=ガラド。
 いつかは知るものではあるし、誰かが教えなければならないのだろうが。
 とまあ、自分を教え導いてくれたのはマエズロス(叔父)であるから、まあ、あんな感じで教えればいいのかなあ、とか。
 何も知らぬ者を相手にするのは初めてではないし。
(ううっ)
 思い出して頭を抱える。
 シリオンで愛し合ったあの少年…。思い出しただけでも顔がにやける。教えるというより、襲ったといった方が正しい。
 いやいや、あの事はもう忘れよう。
「ギル=ガラド王」
 軽いノックの音と声。エルロンドがやってきた。
「入りなさい」
 ギル=ガラドの寝室に入ってきたエルロンドは、至極真剣な面持ちで、ずっしりした本を抱えている。
「私なりに勉強してまいりました」
(はい?)
「夜伽とは」
 広辞苑の説明そのままに暗唱する。そんな言葉を真顔で言われると、それはそれでどうなのかと思えて来る。
「よろしくお願いいたします」
(あ、いいんだ?)
 まあ、本人がいいというなら。

 年長者らしく勉学の一環として教えるのも、まあ仕方のないことか。
 父上に頼まれて私に教えてくれたマエズロス(叔父)の困った態度が、今はよくわかる気がした。  


*14*

リンドンでのギル=ガラド先生とエルロンドのお話 続き


「こんなの嫌だ」
 昔、そう言って拒絶した少年がいた。シンダールの生残りで、とてもきれいな子だった。
 やりたい相手とやればいいじゃん、
みたいな感覚だった当時まだエレイニオンと呼ばれていた自分は、面食らったものだ。
「身体を重ねるのは愛し合うもの同士が行うものだ」
 んまあ、たしかに、父は親友と寝所を共にしているのを知っていたし、
そこで何をしていたかだって知ってるし、真顔で命をかけるに値する友だとか言って本当に命をかけてたし。
ああいうのを愛し合うって言うんだろうなあと思いつつも、自分がここに存在しているってことは、
たぶんどこぞの女性と関係を持って子供を生ませたのだろうが、自分は母の顔を知らない。
つまり、魂の恋人とは別の者と情交を交わしたりもするんだ。
「じゃあ、愛してる」
「じゃあってナニ?!」
 今思えば、怒られても仕方ないな。



「ギル=ガラド王?」
 おずおずと不安げに声をかけられ、ああ、今はエルロンドに教えているんだったな、いかんいかん。と我に返る。
「あの、ダメですか?」
 ダメというか、拙いというか、
「最初から上手にはできぬものだ」
 というわけで、見本を見せることにする。



 おや、もう朝か。
 ギル=ガラドは窓の外を見やった。
 あまり痛くないようにとじっくり慣らしながらやったので、思っていたより時間がかかったのだ。
痛くないようにとは言っても、そりゃあまったく痛くないわけなどなく、しばらくは違和感を感じるだろう。
 気を使いながらやったので、自分としては嫌ではなくてもそうそう気持ちいいわけでもなく、
ま、あえて言うなら義務?
 さて、この講義は、父やマエズロス(叔父)なら、及第点をくれるかな?
 あとは、エルロンドの意識が戻った時に、嫌悪を感じるものであったか、
だとしたら、もう二度としなくていいことであることを伝えよう、とか。
 眠っているエルロンドを見下ろす。苦痛の表情ではない。大丈夫かな。
「………」
 エルロンドは、きれいな子だ。そりゃエルフはみんな美しいと言うけれど。
エルロンドにはヒトを惹きつける魅力がある。
もっと知識を蓄え、身体を鍛え、自信を持てば、彼のカリスマ性は輝くだろう。
 なんて思いながら、エルロンドを見つめていて、ギル=ガラドは、ハッと気付いた。
 愛しているって気持ちが、わかった気がする。
 いや、エルロンドに対してではなく。エルロンドは愛している。でもそれは、性愛とは違うものである。
 ギル=ガラドは寝台を降りると、窓辺に立ち、朝日を眺めた。
 今すぐ東に旅して、ごめん、きみを愛しているんだって言ったら、許してもらえるかな。
(スランドゥイル…)
 時すでに遅し、か。
 はあぁ…、と、大きなため息をつく。
「………ギル=ガラド王……」
 いつの間にか、起き出したエルロンドが、ギル=ガラドの背後に立っていた。
「目覚めたか。気分はどうだね?」
 もう少し休んだ方がいいだろう、身体が辛いなら、今日一日寝ていてかまわん。
そう言おうとして、ギル=ガラドは口を開いて動きを止めた。
 エルロンドは頬を染め、恥ずかしげにうつむきかげんにギル=ガラドを見上げていた。
「?!」
 ちょっとまて、その表情、その態度は?
「ギル=ガラド王………その、あのようなすばらしい体験は初めてで………
もう一度、感じさせてはいただけませんか…?」
 え?
 なに、そうなの?
 えーと………
「今は休みなさい。欲しいのなら、また明日の晩にでも私のところに来るがよかろう」
 やっぱハーフエルフって、性欲が強いのかな? 
 優しくエルロンドの瞼に口づけしながら、
 もしかして、まずいこと教えちゃったかな、と、ギル=ガラドは思った。


*15*

リンドン

 (あーもう!だからだめだって言ったのに!!!)
 ギル=ガラドは頭を抱えていた。
 (ばかばかっ!!ケレブリンボールのおばかさん!!!!!)
「いかが致しましょう」
 エルロンドが不安げに見つめてくる。
 頭を抱えたまま、王宮の執務室をごろごろ転がりまわりたい気分だが、
うつむいて人差し指をこめかみに当てるだけで我慢する。
 ケレブリンボールから救難要請が来た。
 エレギオンの客人であった男が、実は悪意の塊だったのだ。
(だから、あのサウロンって奴を信用するなと言ったのに!!)
 サウロンという男、ここ、リンドンにも尋ねてきた。が、不審に思ったギル=ガラドは、そいつを拒絶したのだ。
その後サウロンはエレギオンに行き、ケレブリンボールと仲良くなってしまった。
 これだから技術馬鹿はっ!とギル=ガラドは不安を抱えて今日まで来たが、
実際不安が的中してしまうと、もう腹立ちを超えて哀しくなってくる。ケレブリンボールは決して嫌いではない。
いい奴なんだ。
 ホント、いい奴なんだよ、ケレブリンボール。
「兵を出しますか」
 ケレブリンボールからの手紙と、周辺地図を机に並べて、ギル=ガラドは凝視している。
「早急に、だ」
 感情を押し殺した声は低く、エルロンドはゾクリとする。
「指揮官は」
「私が参ります」
 思いがけないエルロンドの言葉に、ギル=ガラドが顔を上げる。
「きみが?」
「はい」
 エルロンドの真意を探るように、その瞳を見つめる。
 エルロンドがここに来てからずいぶんになる。彼は知識を深め、判断力もあり、戦術にも長けている。
今やギル=ガラドの右腕として申し分ない。
 であるから、確かに、エレギオンに派遣するには最適だ。
 あそこは重要な里であり、彼らは優秀な技術集団であり、失ってはならない。
「グロールフィンデルを呼びなさい」

 ギル=ガラドの召集に、そのエルフは颯爽とやってきた。
 さすがのギル=ガラドもグロールフィンデルを前にすると、ちょっとビビる。
 というのも、ゴンドリンでの彼を知っているからであり、当時ギル=ガラドはまだ幼くて、
トゥアゴン叔父の側近中の側近、グロールフィンデルは存在が大きすぎて、憧れ、畏怖に近いものがあった。
 まさか自分がグロールフィンデルを動かす事になるとは思いもよらなかった。
グロールフィンデルは、死んだのだ。
 死んだというのは、エルフにとってちょっと違った意味で、正確にはマンドスの館に召還され、
世界の終わりまでミドルアースには戻ってこない、わけで。
そのグロールフィンデルが再びミドルアースでの肉体を与えられたというのは、それはもう大変な事実なわけで。
その目的が重要なのではあるが、ギル=ガラドはそれを、エルロンドの守護のためだと解釈している。
なぜなら、エルロンドはトゥアゴンの血を引く最後の生残りだからだ。
「エルロンドをエレギオンに送る。グロールフィンデル、きみはエルロンドの指揮下に入りたまえ」
 入ってくださいだろ、エレイニオン? グロールフィンデルに冷笑されそうで、顔が引きつりそうになる。
が、もちろんグロールフィンデルはそんな愚かしい男ではない。
「承知いたしました」
 仰々しく頭を下げる。
「出発は」
「明日の早朝、日の出と共に」
「早急ですな」
「急を要するのだ。現状もまだ詳しくわからぬ。人選はエルロンドときみに任せる。
少人数で迅速に動けるよう、判断してくれ」
「御意」
 頭を下げ、グロールフィンデルは去っていった。
 はあぁ…緊張した。
 ギル=ガラドは自分の椅子に腰を下ろした。



 夜明け前、出発の仕度を終えた、エルロンドがギル=ガラドを呼びに来る。
執務室で諸々の情報を整理していたギル=ガラドは、いよいよか、と立ち上がった。
「現場での判断は、全てきみに任せる。きみなら正しい判断ができると信じている」
「ありがとうございます」
 それから、エルロンドは周囲をうかがい、他に誰もいないのを確かめると、
つ、とギル=ガラドに詰め寄り、その瞳を見上げた。その瞳は、
(うわぁ恋する瞳)
 そこで怯んではいけない。
「ヴァラールの加護を」
 囁きながらそっとエルロンドを包み込むように抱きしめたりする自分は、
大人になったなぁと思うギル=ガラドであった。
「案ずる事はありません。エルロンド殿は私がお守りしますゆえ」
 ヒクリとギル=ガラドの頬が引きつる。
 音もなく現れたグロールフィンデルが、そっと手を出し、自然とエルロンドの手を取って自分の方に引き寄せる。
(うわーーーーんっ!! そんな目で見るなぁ!!)
「頼んだ、グロールフィンデル」
 そう言いながらも、後頭部から滝のような汗が吹き出る。
「ギル=ガラド王」
 エルロンドは少しだけ離れがたそうな目をする。
 その背後から、グロールフィンデルがギル=ガラドを見つめる。
(やめてくれっ! そんな目で見ないでくれグロールフィンデル! 
私は何もしていない! そりゃ褥を共にはしたことはあるが、弄んだわけじゃないし、
虐めてないし、自分から誘ってないし…いや、それはあれだけど、
幼子を強姦した変質者を見るような目で見ないでくれ! エルロンドはお前が思ってるほど子供じゃない!!!!!!)
 口元に小さく笑みを作り、ギル=ガラドはエルロンドの額にそっと口づけた。
「気をつけてお行き。私の愛しい子よ」
 ふわっとエルロンドは笑みを見せ、すぐに表情を引き締めた。 
 そして、いつも他の者たちに見せる礼儀正しさで頭を下げ、
「行きましょう。お願いします、グロールフィンデル殿」
 グロールフィンデルを従えて出て行った。
 


 エルロンドを指揮者とした一隊を、ギル=ガラドはキアダンと肩を並べて見送った。
「………」
「心配かね、エレイニオン?」
 いつまでもいつまでもエルロンドたちの去った道を見つめているギル=ガラドに、キアダンが優しげに問う。
「大丈夫かなぁ…グロールフィンデルがついているから、大丈夫だとは思うが」
「そうだね、サウロンという男がどれほどの者かはわからぬが、
もしエルロンドに何かあったら、スランドゥイルはきみを今度こそ絶対に許さないだろうね」
「!!!!!うわぁぁぁっ!! 私が代わりに行く!!」
 走り出しそうなギル=ガラドの襟首を掴んで、キアダンはにっこりと笑う。
口で笑って目は笑ってない、という渡辺兼ばりのすごみで。
「冗談だから。きみはもう王なんだから、ここでちゃんと指揮を取りなさい」
   

*16*

ヒスルム



「父上〜〜〜〜!!!」
 飛び跳ねるようにニッコニコで父の部屋のドアを開けるエレイニオン。
「父上〜〜〜〜!!!! マエズロス殿がいらっしゃっていると聞きました〜〜〜〜!!!!」
 顔を引きつらせるフィンゴン。
 親友マエズロスが久しぶりに訪ねてきた。
 もちろん、まずすることはひとつ。
「ああ、エレイニオン、大きくなったね」
 一瞬表情が凍るも、そりゃあ大家族の長男は子供の扱いも慣れている。
マエズロスはにっこりと笑って慌てて服を引き寄せる。
「マエズロス殿!!! お久しぶりです!!!」 
 この状況を察する事もなく部屋に駆け込むと、寝台の際にしゃがんで、
『大好きな』マエズロス叔父を見上げる。マエズロスはエレイニオンの頭を左手で撫でる。
「また剣術を教えてくださいますか? 旅の話を聞かせてください! 
フェアノール様の素晴らしい技術について教えてください! ヴァリノールのことを教えてください! 
それから…」
 更に身を乗り出して、マエズロスの足の上に顎を乗せる。
「ここまで危険ではありませんでしたか? 何日くらいかかりましたか? ドワーフを見ましたか?」 
 寝台に這い上がって胸の上に顔を近づける。
「お疲れではありませんか? 何か食べますか?」
 そりゃあもう、馬乗りになる勢いのエレイニオンの襟首をフィンゴンは掴み上げ、寝台から降ろした。
「何をするのですか! 父上!!」
「うるさいぞ」
「だって久しぶりだし」
 子供らしいキンキン声で反論するエレイニオンと、
少しばかり大人気ないフィンゴンの間に入り、マエズロスは苦笑する。
「フィンゴン、子供相手に怒ったらかわいそうだよ」
 そうだそうだ〜〜とエレイニオンは歓声をあげ、今だとばかりにマエズロスに抱きついた。
「え、あ、ちょっと、エレイニオン、お尻触るのやめてくれる?」
 ブチッ
 ついに切れたフィンゴンは、寝台から降り、
エレイニオンの首根っこ掴んで扉のところまで引きずっていき、そのままぽいと放り投げ、扉を閉めて鍵をかけた。
「わ〜〜〜!! 父上ヒドイ〜〜〜!!!」
「ウルサイ! 私が先だ!!」
 ぷんすか寝台に戻り、マエズロスに覆いかぶさる。
「フィンゴン、子供相手に、大人気ない」
「子供子供と侮るな。あの年の頃には、私はもうお前を押し倒してた」
「………」
 ……………。
「そう…だった、かな?」

 そして扉の外で聞き耳を立てているエレイニオンであった。